新生活の始まる春。
進学を機に、吹奏楽部に入ってみようかと迷っている人もいるかもしれない。
もしくは、吹奏楽部でコントラバスを弾いてみようかなと、血迷っている人もいるかもしれない。
吹奏楽部でコントラバスを弾き始め、挙句、プロ奏者を目指してチェコに渡ってしまった私の個人的な吹奏楽におけるコントラバス観をつづる。
「音が小さい」、「メロディがない」、「何をしているのかわからない」、「なんで吹奏楽に弦楽器?」、「地味」と散々な言われようのコントラバス。
果たしてコントラバスは地味なのか?
そして、吹奏楽におけるコントラバスとはどんな存在なのか?
オーケストラのコントラバス
17世紀に登場して以来、あらゆるジャンルで低音楽器の要として採用され、様々な奏法で演奏されてきた楽器、コントラバス。
コントラバスの輝く音楽は数多くあれど、オーケストラにおけるコントラバスは間違いなく一つの頂点である。
多くの偉大な作曲家がコントラバスを愛し、コントラバス奏者はその期待に応え続けてきた。
コントラバスを愛した作曲家、ベートーヴェン
ベートーヴェンはかつて、
「コントラバスはオーケストラで一番音楽的であるべきだ」
語ったと言われている。
彼は、コントラバスのための独奏曲は遺さなかったが、自身の交響曲においてコントラバスに音楽を先導させた。
交響曲第五番 第三楽章
俗に「運命」と呼ばれるこの曲。
第一楽章の冒頭は有名だが、第三楽章まで聞いたことのある人は少ないかもしれない。
この楽章では終始、チェロとコントラバスからなる低音パートが音楽を導いてゆく。
なめらかなスラーで奏でられる暗く不気味な場面と、はっきりとした発音のスピッカート(跳ね弓)で奏でられる力強い場面が交互に現れる。
今日に至るまで、世界中のコントラバス奏者の習得すべき大事なレパートリーとなっている。
参考映像
オーケストラのオーディションで求められることの多いこのパート。
ウィーンフィル管弦楽団、ベルリンフィル管弦楽団という世界の二大オーケストラの首席奏者がそれぞれ演奏している。
ウィーンフィル管弦楽団【Oden Racz】
ベルリンフィル管弦楽団【Klaus Stoll】(日本語字幕あり)
吹奏楽部のコントラバス
オーケストラにおいては作曲者から多大な期待を寄せられるコントラバスだが、吹奏楽の世界においてはどうなのか?
正直なところ、地味で仕方がない。
圧倒的な専門外
吹奏楽は主に管楽器のための音楽の形態であり、弦楽器の、しかもコントラバスなんぞはほとんどの指導者や顧問の先生方の専門外である。
ましてや、学校に出入りをしている楽器店の専門外ですらある。
八百屋に置かれた牛肉のような、なんとも言えない違和感や孤独感を感じる。
そのような環境ではしっかりとした指導は期待できない。
それどころか、楽器がとんでもない状態になっていても誰も気がつかない。
吹奏楽でコントラバスの正確な情報を取得するのは極めて困難であるといえる。
コントラバスを持て余す作曲家
困ったことに、吹奏楽曲を描いている作曲者すらコントラバスの扱いに困っているように感じられる。
オーケストラにおけるコントラバスは、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスからなる「弦五部」という大きなまとまりに属する楽器である。
また、数多くの偉人たちが試行錯誤を重ねた結果、オーケストレーション(楽器の使い方)が完成されている。
多くの曲においてコントラバスが効果的に用いられ、オーケストラで演奏すれば自分が巨大な芸術の一部を担っているという確信が得られるだろう。
しかし、吹奏楽においては往々にして自分が何をさせられているのかわからないことがある。
コントラバスを活かした作曲家
吹奏楽部でコントラバスを弾いていた時分、唯一気に入った作曲家がいる。
彼の楽譜は、パート単体で見ても面白い楽譜であったし、全体の中でもしっかりとした役割が見える楽譜であった。
また、G線(一番細い弦)の開放の音をピチカート(指で弾く)で自然に減衰するところまで伸ばさせる場面があり、おそらく彼はGがコントラバスの開放弦の音と一致することも、コントラバスの開放弦の特徴も知っていて採用したのだろう。
吹奏楽でコントラバスを理解した楽譜に出会うことは滅多にないだけに今でも楽譜は大事にとってある。
彼の「テルプシコーレ」は実に楽しい曲であった。
まとめ
吹奏楽部でコントラバスを弾くということは大変な苦行となり得る。
なぜなら、吹奏楽においてコントラバスは門外漢であり、指導者や楽器屋、果ては作曲者からも理解の得られにくい楽器である。
吹奏楽で物足りなくなったコントラバス弾きはオーケストラに手を出してみるのがいいだろう。
吹奏楽では端に追いやられるコントラバスだが、他の分野では未だ光り輝く。
コントラバスは至高の低音楽器である。
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