投げたいギター
先日、生まれて初めて楽器を投げた。
辞めたとか、手放したとかではなく、
文字通り放り投げた。
ヴォリュームを上げたアンプからは今までに聞いたことのない音が響き、
Uni-Viveをモデリングしたエフェクトを掛ければ混沌の音になった。
最後にシールドを引き抜かれ、部屋から蹴りだされたギターは階段を転げ落ちた。
破壊と自傷
ミュージシャンが自身の楽器を破壊する場面や、
ステージに叩きつける場面、
ギターを床に投げてステージを去る姿を幾度となく見てきた。
ギターを燃やしたジミ・ヘンドリックス。
アンプもドラムセットもギターもすべて破壊して自分たちの時代を主張したザ・フー。
トレードマークであるNo.1をステージに叩きつけ、踏みつけて轟音を鳴らしたスティーヴィー・レイ・ヴォーン。
彼らはなぜ自身の楽器をそれほどまでにぞんざいに扱うのか?
楽器は分身
人が音楽に触れるためには楽器が不可欠である。
ちょうど、インターネットにアクセスするためにスマホやパソコンを用いるように、
人は楽器を通して音楽にアクセスする。
例えば、ギターであったりサックスであったり、ドラムであったり。
一般的に楽器と呼ばれるものでなくとも、声や手、足など、
人体も音楽へと通じる扉となる。
音楽家にとって、少なくとも僕にとっては、
楽器は自身の分身であり、兄弟であり、師である。
では、なぜそれほど大事な楽器を僕は床に投げつけたのだろうか?
思うに、楽器破壊は一種の自傷行為なのだ。
自傷行為
自傷行為をする理由はいくつかあると言われている。
外向きの作用
一つは、見えないの自身の心の傷を体に刻み込み具現化するため。
心は寡黙だ。
他者に傷を伝えるすべを持たない。
身体に残る傷跡も、皮膚を伝う血液も、
雄弁に心の傷を語ってくれる。
内向きの作用
一つは、自身の混沌とした感情を麻痺させるため。
極端な怒り、悲しみ、憎悪などの負の感情は思考力を奪う。
自身の中で黒いどろどろとした腐った液体がうごめくような感情に支配されたとき、
自傷行為は麻薬の様な効果を持つ。
痛みによって一時的に全てを忘れることができる。
痛みは体が発する究極の危険信号だ。
感情を全て取り去るだけの力を持つ。
楽器を弾く意味
言葉で語ることができるならば誰も楽器になど頼らない。
自身のあらゆる感情を、ぶつけることのできるものが楽器だ。
いかなる感情であろうと、楽器にぶつければ、
そのエネルギーは音に変換される。
怒りを込めて机を投げ飛ばすのとはわけが違う。
机は怒りのエネルギーを変換する術を持たない。
怒りを込めて楽器を叩けば、
エネルギーは変換され、音楽になる。
自身を表現するのが下手くそなのが、音楽家と言う種族なのかもしれない。
まとめ
自身の分身たる楽器。
その楽器を破壊するという行為は自傷行為に等しい行為だ。
正当な手段で表現することのできない感情を表現するために楽器を燃やす。
正当な手段で整理することのできない自身の感情にかかった紫の煙を払うために楽器を叩きつける。
自身の体をナイフで切ることは褒められたことではない。
しかし、痛みをもってしか制することのできない感情がある。
同じように…
楽器を破壊することは褒められたことではない。
しかし、時として楽器を破壊せずにはいられないのだ。
(上の動画はこちらのライブDVDに収録)
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