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海外に持っていきたい本 Part 1 ~蹴りたい背中~

小説
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飛行機と小説

飛行機に乗るとき、とある三冊の文庫本を必ずカバンに入れる。

夏目漱石、「こころ」
志賀直哉、「城崎にて」
そして、
綿矢りさ、「蹴りたい背中」

万が一の事故が起きても、旅先で事件に巻き込まれようとも、この三冊があれば地縛霊となっても暇はしないであろう。否、そもそも、これらの本が持つ魔力のようなもので、それらの事態は避けられるのではないだろうか…と、毎回お守り代わりにカバンに突っ込むのだ。

葬式の時は、是非ともこの三冊を棺桶に入れてほしい。
それくらい深く印象に残っている本たちである。

これまでに巡り合った素晴らしい本たちについて「海外に持っていきたい本」と題して紹介したい。

実力テストと春休み

特段、読書が好きで暇さえあれば本を読んでいる本の虫という訳でもないが、時折、集中して本を読む時期が来る。中学を卒業して、第一志望の高校にも合格した僕は特に何もすることがなかったのか、その時期に突入した。
何を読もうかと思案していると、ふと、中学三年の折に受けた国語の実力テストを思い出した。なんとも特徴的な文章の小説が出てきていたのだ。実力テストはその成績に応じて受験する私立高校が決定するという重要なテストであったが、冒頭部分が抜粋されたその小説にのめりこんだ。

「葉緑体?オオカナダモ?ハッ。ていうこのスタンス」

たったそれだけの文章にこれまでの価値観がひっくり返された。

中学時代は、野球部で一年半過ごし、残りを陸上部で過ごした。高校でも陸上部に入ろうとそのときは考えていた。
どうやら、実力テストで読んだ「けったいな小説」は陸上部の高校一年生が主人公であるらしかった。これから始まるバラ色の高校生活の指南書とすべく、「けったいな小説」を読み始めた僕は救いようのない阿保なのであった。

「けったいな小説」は、その名を「蹴りたい背中」という。

高校入学を目前にして、希望に満ち溢れた15歳の少年が読むべき本では決してなかった。読むにしても、その世界にどっぷりとつかるのではなく、反面教師とすべきであった。しかしながら、一度読んで軽く流せるような本であるはずがない。なんせ、著者の綿矢りさが、史上最年少19歳で芥川賞を受賞した作品なのである。
主人公「ハツ」のひねくれた性格がいくらか移ってしまい、後の高校生活に暗い影を落とした。あのとき、もう少し純愛に満ち溢れた本、例えば「陽だまりの彼女」などを読んでいれば高校生活はもっと良いものであったに違いない。

TSUTAYAのVan Halen

綿矢りさの「蹴りたい背中」と、Van Halenの「炎の導火線」は似ている。
猛烈な勢いの冒頭、独特な切り口。非常にコンパクトにまとまった作品は息をつく暇もなく最後まで走り抜けてゆく。

中学の頃はよく近所のTSUTAYAに通った。視聴機を独占し、B.B.KingにBuddy Guyなどのブルースから、Ozzy Osborn、Metallicaなどのメタルまで聞いたのだが、あるとき、ある運命的な出会いを果たした。

Van Halenとの邂逅だ。

映画「Back to the future」でもネタにされるほど独創的なフレージング。マニアがこぞって研究したという、改造したMarshallアンプを歪ませた極上のブラウンサウンド。エフェクターとヴィブラートユニットで音を捻じ曲げ、ライトハンド奏法で立体的なメロディーを奏でる。
The BeatlesとEric Claptonで育った僕の受けた衝撃はVan Halenがデビューした1978年当時の衝撃に近いものがあっただろう。
後にTower Recordsでデビューアルバムを購入し、中学3年の最初の定期テストと同じ日程となったライブにも行った。デビュー当時のヴォーカリストDavid Lee Rothが復帰してレコーディングしたニューアルバムを引っ提げての来日公演は初めてのハードロックのライブだった。翌日まで耳の中でギターの音がこだまするほどの爆音は、その後ライブに何度も足を運んだが、以降経験していない。

まさしく「蹴りたい背中」と同質のパワーを持っているではないか。

ベルリンフィルで活躍した大指揮者、W.フルトヴェングラーは彼のインタビューをまとめた「音楽を語る」の中で、「作品が社会にもたらす作用は、持続的なものと瞬間的なものがある。ベートーヴェンなどの古典の名作には持続的な作用があり現代まで残るが、瞬間的な作用しか持たない作品は一時の流行だけで歴史から消えてゆく。」という旨の発言をしている。
奇をてらった作品の多くは瞬間的な作用を有し、発表当時は爆発的に社会に広まる。しかし、暫くすればその作品は社会から姿を消す。持続的な作用を持つ歴史的な作品はときとして受け入れられるのに時間を要する。
その作品が後の歴史に残りうるのか否か、価値のある判断を下すには時間が必要となるのだ。

「蹴りたい背中」も「炎の導火線」も、ともすれば、悪戯に奇をてらっただけの作品となったかもしれない。しかし両者とも、瞬間的な作用と同時に、その後の流れを変える持続的な作用すらも有している。
新たな時代の幕開けとなった作品、爆発するエネルギーを堪能してみてはいかがだろうか?

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