素晴らしきカバーの世界
音楽には「カバー」というものが存在する。
「カバー」とは、誰かの発表した既存の曲(オリジナル)をもとに別のミュージシャンが新たな解釈を加えて作成(アレンジ)した楽曲である。
表現者のフィルターを通して楽曲を再構築するため、優れた「カバー」ならばその人の音楽性が如実に現れる。
表現者の解釈が加えられているという点で「コピー」とは明らかに意味が異なる。
「ブラック・オア・ホワイト」
この動画はマイケル・ジャクソンの「ブラック・オア・ホワイト」のカバー。
元の楽曲はこちら。
最初にこのカバーを聞いた時の鮮烈な印象は今でもありありと思い出すことができる。
マイケル・ジャクソンのバージョンでは歪んだ音のギターを軸にシンセサイザーや加工された鋭いドラムの音で明るいアメリカン・ロック調の音楽となっている。
対してこちらのカバーではテンポをぐっと落とし、ベーシストのアドリアン・フェローの奏でる高音域を使ったリフに、ドラマーのヴィニー・カリウタはメロディアスなドラムで応える。そして力強いヴォーカルはマイケル・ジャクソンのルーツであるR&Bの雰囲気を醸し出している。
古典に根ざし、それを発展させたボーダーレスな現代的なフュージョンといった趣である。
これら二つの楽曲は同じ曲ではあるが明らかに別物の音楽となっている。
上の動画のカバーは自らのフィルターを通して「オリジナル」を再構築した素晴らしい例の一つだ。
まとめ
技巧を駆使し、写真と見間違えるほど写実的に描かれた絵を見て「まるで写真みたい!」とその絵を称賛する人がいる。
個人的な意見を申し上げるのならば、「まるで写真みたい!」な絵ならば「写真」でいい。
ピカソがゲルニカの惨劇をそっくりそのまま「写真のように」写しとって描いたのならば、人々に悲劇的な情景を思い起こさせる名画にはならなかっただろう。
クリエイターは何かを「クリエイト(創造)」してこそ存在する意義がある。
何かオリジナルが存在していたとしても、それをそっくりそのまま「コピー」するのはクリエイターの仕事ではない。
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